アメリカにて。 - ドメスティック日本人一家の滞米日記

04« 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 »06
--

--

--:--
--
--

No.0

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
04

28

23:31
Thu
2011

No.052

夫、渡米。そして大震災

三月一日、私達は成田空港に居ました。
一足先に渡米する夫を見送るためです。夫の両親も来てくれました。

この時点では、私と娘は親族の結婚式に出席した後
6月末に渡米する予定だったので、夫には約4ヶ月単身赴任をしてもらうつもりでした。
4ヶ月も離れ離れ、しかも異国で…私と夫は別れを惜しみたかったのですが
娘は相変わらずまったく空気を読まず、逃げる、遊ぶ、騒ぐとやりたい放題。
結局娘を追い掛け回しているうちに搭乗時間が迫ってきてしまいました。

「じゃあ、頑張って」
「お互いに」

夫はあっさりとゲートに消えていきました。


十日後、平成二十三年三月十一日。午後二時四十六分。

後に東日本大震災と呼称される巨大地震が発生しました。
津波、そして原発の爆発。たくさんの大切なものが奪われ、破壊され、汚染されました。
その絶望はいかばかりか、直接の被災者でない私には推し量ることすら憚られる程です。

本震は静かに始まり、次第に強さを増しながら長く続きました。
その後のニュースの津波映像は地獄の光景でした。
そして福島第一原発で冷却機能が失われたとの知らせ。
私は娘が寝入った後TVを見ながら眠れぬ夜を過ごしました。
翌十二日夕方に、福島第一原発一号炉で爆発的事象が発生とニュースが入りましたが、
それは爆発発生から二時間近くも経過した後でした。

「あ、これはやばいわ」

私は荷物をまとめ、娘の手を掴んで電車に飛び乗りました。
関西にある私の実家に向かうためです。
政府、マスコミ共に原発に関してまったく事故を想定しておらず、
情報を開示すべきかどうかすら決まってないのだろう。
そういう印象を受けました。

夫が不在の今、放射性物質が飛来するかもしれない関東にいる理由は
ありませんでした。夜9時を過ぎた新幹線ホームは
ビジネスマンや観光客らしき外国人でいつも通りの賑わいを見せていました。
結局実家に着いたのは深夜2時を過ぎていました。
娘に無理をさせ、両親は呆れ顔でしたが、その後の計画停電初日の混乱や
水道水の汚染のニュースを見て納得したようでした。

夫には携帯メールやスカイプで連絡をしていました。
夫は単身赴任の上司の家に仮住まいをしており、渡米直後でも
ケーブルテレビ(ジャパンチャンネル)でニュースが見られたこと、
ネット環境もあったことは非常に助かりました。

関東では複雑怪奇な計画停電に加えて買占めのため物資が不足し、
ガソリンスタンドが営業停止になるなど混乱は続いていました。
真っ先に逃げてしまった自分がうしろめたく、
友達からの安否確認のメールにも返信ができませんでした。

TVニュースやネットを見たくはあったのですが、ショッキングな映像だけでも子供が
PTSDになるという新聞記事を見た両親が、娘がいる間居間でニュースをつけない様になりました。
情報は畢竟、ネットに偏っていきました。
関西は全くの平常運転。両親とは危機認識度合いが違いすぎ、話もできません。
娘を遊ばせるために外に出れば、そこは日本の春でした。
菜の花やつくしが顔をのぞかせ、うららかな日差しの中でひばりが鳴いています。

被災地にはまだ雪が降っていました。


スポンサーサイト

Trackback

Post

Name:

Url:

Pass:




管理者にだけ表示    
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。